初めての移植
大学病院での体外受精3回目、他院のも含めて通算4回目。
初めて移植までこぎ着けました。
やっと…本当にやっとの出来事で、夢でも見ているような気持ちだったことを覚えています。
お腹の中に受精卵が存在していることが本当に嬉しくて嬉しくて、判定の日がとても待ち遠しかったです。
過剰な期待はすまいと思いながらも、成功したパターンの妄想ばかりしてしまいました。
不安ももちろんありましたが、ようやっと努力が報われる時がきたのだと信じたい気持ちがとても大きかったように思います。
なぜなら、このブログは過去を振り返っているため、読み返してみるとさほど長い時間を費やしているようにはみえませんが…実際はもっと色々なことがありましたし、その道程はとても長く険しいものでしたので。
終着点はここだったと思いたかったのです。
判定の日、結果は…
数値は上がっておらず、着床していないようでした。
また心臓が締め付けられるように痛み息が苦しくなって、このまま死ぬのかと思いました。
もう何もしたくない、考えたくない…という絶望しかない状態で、ふらふらと帰宅しました。
この日の逃避は確か、ピアノだったはずです。
痛みから逃れようと必死に狂ったみたいに7時間くらい弾き続けていたのを覚えています。
おそろしいです…今考えると大変こわいですね。
でもそんな状態までおちたのに、人間っていうのは1年もすれば多少立ち直ることが出来ると身をもって証明しましたよ。
もう二度と笑うことなんて出来ないとさえ考えてしまうほど心が壊れかけていたのに、1年後には普通にそれなりに楽しく生活していましたから…
今、とても辛い状況にいる方に伝えたいです。
いつかきっと、絶対に笑える日はきます。
焦りとどう向き合うか
年齢的にはまだ猶予はあるにも関わらず、私の場合は閉経が近いので(ぎりぎりで閉経寸前のところ)常に焦っていました。
その最たる出来事は途中の段階でのリセットです。
何度も病院に足を運んで検査を繰り返してもリセットになることが多かったので、時間ばかりが無駄に過ぎていってしまう焦燥感といったら半端ではありません。
リセットになる原因は様々で、まったく卵胞が見えない、見えていたのに大きく育っていかない、内膜が厚くならないなどがありました。
精神面以外でも、体力的にも経済的にも大きな負担になっていたことは間違いありません。
毎回、待ち時間と診察、移動時間を含めて半日はかかりますしね。
なかなか前に進めない、むしろ足踏みどころか後ろに戻るわけですから、繰り返すことでよりいっそう疲弊していきました。
終わりの見えない戦いに色々失っていくばかりで何も得られない毎日ですから、もう疲労困憊、満身創痍です。
時間の経過と共に心がよりいっそう荒んでいくのが自分でもすごく分かりました。
そんな鬱々とした日々を乗り越えるためにどうすれば良いのか、焦りながらも色々と考えました。
そして余裕がなかったにも関わらず、意外にもすぐ答えは出たのです。
行動であったり心持ちであったり、それはとても小さなことでした。
例えば、血液検査の結果の待ち時間はおよそ1時間でしたが、この時間は必ず隣接されたカフェにいることに決めました。
いつも早い時間だったこともあってか比較的空いていて、ゆっくりとした時間が流れている場所だったのでとても気持ちが和らいだのを覚えています。
コーヒーの香りに包まれながら焼きたてのパンを頬張っていると、とても穏やかな心持ちになれたのです。
のんびりした空間で、携帯小説を書いてみたりアニメを観たり…その時その時で自分が1番楽しいと思えることに没頭するようにしていました。
病院で過ごす時間を有意義なものにすることで、通院=楽しいという構図を無理やり頭に刷り込んだのです。
マインドコントロール、思い込みってやつですが、これはとても大事だと思います。
項を奏してその結果、採卵までの長い長い道のりをさほど苦に思わずに過ごせるようになっていきました。
自然と焦る気持ちも少しずつ薄まっていき、少しばかり平穏な日々を送れるようになっていったのです。
排卵済み→やむ無く人工受精に変更
転院してから2回目の体外受精は、採卵の段階ですでに排卵済みという結果で、やむを得ず人工受精に変更となりました。
その日は月曜日で、本当はもう1日前の日曜日の採卵がベストな日程だったのですが、事情により1日ずれ込んだことが原因となったようです。
というのも、そこの大学病院は日曜日が休診日だったので、いかなる場合であっても採卵の予定が入れられないルールでした。
何だか釈然としない気持ちではありましたけど、仕方ありません。
排卵止めの薬を使ってコントロールをしてもらったのですが、それも絶対に大丈夫というわけではないことも、これまた仕方ないことです。
でもやはり、すべての事情を理解していても、とても悔しかったです。
通うには遠い場所であることも経済的に負担になることも、すべて納得して自分で選んだ道だったのにも関わらず、色々と葛藤していました。
思えばこの頃から以前にも増して、治療のことばかり考えるようになっていたように思います。
それはもう四六時中、ご飯を食べながらでも仕事をしながらでも寝ている夢の中でさえ、すべての時間が不妊治療に支配されていました。
注射代も薬代もすごく高額ですし、急に仕事を休んでまわりに迷惑をかけていますし、けれどそこまでしても何も得られないわけですからね。
ひとつひとつ越えていかなければならないハードルはたくさんあるのに、何一つクリア出来ずにいることは、疲れきった私を更に疲弊させるのに十分過ぎる仕打ちでした。
そうこうしているうちに、しっかりと年だけはとっていくわけですしね。
もはや虚無感しかありません。
そして人工受精の結果はというと…
またかすりもせずリセットとなるのでした。
パンダに嫉妬
時系列までは覚えていませんが、不妊治療中の出来事だったことだけは確かです。
パンダのシンシンの出産。
この報道にすごくショックを受けました。
めでたいことですよね、分かってますよ。5年ぶりだそうではないですか。
芸能人の妊娠報道もあまり見たくはなかったですけど、それ以上にシンシン出産の破壊力は半端ではなかったです。
パンダにすらある能力が私にはないんだと思うと、悲しいやら情けないやら悔しいやら…
もうなんて表現すればいいのか分かりませんが、とにかく気が沈んでしまってしばらく浮上することは出来ませんでした。
ちなみにパンダは嫌いじゃないですよ。馬鹿にしているわけでも下に見ているわけでもないですし。
むしろ動物全般は大好きです。
犬も猫もパンダも、とくに生まれたてなんてかわいすぎですよね。
とりあえず今になって分かったことは、自分で思っている以上に、色々なことに嫉妬深く卑屈になってしまっていたということです。
こわいですね~。
人間って自分でも気づかないうちに、こうやって闇が深くなっていくこともあるんだと身をもって学びました。
運命と勘違いして色めき立つアホな私
私はその日、いただいた紹介状を手に期待と不安の入り交じった心境のまま、大学病院へとむかいました。
さすが大学病院は違いますね。
当たり前ですが大きいですし、売店とかカフェテラスのような憩いの場があったりなんかしますから。
しかもそこは以前に膝の手術をした時に入院してお世話になった病院だったため、『足を治してもらった』という良い思い出のある場所でもありました。
パワースポット…ん?ちがう
ラッキースポット的な感じですね。
縁起がいい…あ、そうそうこれです!
私にとって、とても縁起がいい場所なので、少しばかり通うのが大変な距離でしたが特に気にしませんでした。
そしてこの初日に何をしたかというと、診察とさっそく血液検査と内診です。
診察は担当の先生が1時間ほどかけて、早発閉経という病気について細かいことまでかみ砕いて丁寧にお話ししてくださいました。
先生はこの病気の専門医ということだったのでそれはもう詳しくて(当たり前でしょうけど)ネットの検索では得られない情報が盛りだくさんの、とても有益な時間でした。
そしてなんとも驚いたことにこの日、たまたま排卵が間近だったのです。
急遽、3日後が採卵日に決まったのですが、それは色々な奇跡が重なったからでした。
大学病院ともなると普通は近々の採卵予定はすべて埋まってしまっていて、なかなか予約が取りづらいそうですが、たまたま空いている時間があったのです。
つまり1日に採卵出来る人数が決まっているにも関わらず、空きがあったということになります。
もう、本当に運命だと思いました。
来院した初日がたまたま排卵期が近くて、更にたまたま採卵の予定を入れることが出来たなんて、運命以外の何者でもないと確信めいたものがあったのです。
看護婦さんたちがバタバタと大慌てで採卵のための書類やら道具やらを取り揃えてくれている様子を見ながら、ウキウキと色めき立っておりました。
数々の奇跡が重なって運命的な妊娠を果たす自分の姿を夢想して、ニヤニヤがとまりませんでした。
アホですね。間違いなくアホです。
まぁ実際にそんなドラマチックな出来事が起きるわけなかったんですよ。
そう簡単に上手くいくほど現実は甘くなくシビアだったんですね。
そして結果は一応採卵には成功するんです。
見えていた卵胞は2つでしたが取れたのは1つ。
けれどこの1つの卵子は奇形で、受精に進むことなくリセットになりました。
採卵に成功してから受精確認までの間(新鮮胚移植だったので数日です)不安ももちろんありましたが、きっと奇跡が起こるものだと信じている気持ちはかなり大きかったです。
そしてまた例によって撃沈した私は、ヒラヒラと紙切れのようになって底無しの穴的なものへと落ちていくのでした…(昨日の記事参照)
明けない夜があったとしても、夜を楽しく生きればいい
当方、ブログ名にもあるように美容師なのですが、接客業ならではの不妊あるあるについて語りたいと思います。
私の勤務する店のお客様の年齢層は、お年寄りと子供の割合がとても高いです。
若者ばかり来客するハイカラな美容室ではなく、地域密着のほのぼの系だから当然といえば当然でしょう。
あえて自らそんな店を選んだわけですから、そこに不満はありません。
ですが、治療中は色々な困難にぶち当たりました。
そんな環境であるがゆえの困難といえます。
それは以下のようなことです。
①お年寄りならではの「結婚してるの?子供はいるの?」「ほしいと思わないの?」攻撃
悪気がないのは分かっています。傷つけるつもりがないことも。
現代の若者よりも、言葉でのコミュニケーションを大切にしてきた世代の方々だと思うので、多少の違和感は仕方ないと思っています。
ですが、子供がいない=親不孝という考えの方も少なからずいるようで、何度かその議題で説教をされたことがありました。
もちろん笑顔で対応するしかないわけですが、全身が小刻みに震えていたことを覚えています。
怒りや悲しみが複雑に絡み合った心境は、どんな言葉をもってしても的確に説明することは難しいです。
②子供(特に幼児)のカットをする度に、どうしても不妊であることを思い出す
仕事ですから仕方ないんですけどね。
ちゃっちゃとカットして帰ってもらえばいいだけなんですよ。
もちろん分かっていましたよ、頭では分かっていましたけど…これもまたけっこーつらかったです。
それこそ相手はまったく悪くない…というかただ髪を切りにきただけですしね。
とはいえ、懸命に気を紛らわそうとしているのに、1日に何度も不妊であることを思い出さなくてはならないのはやはりつらかったです。
③仲良さそうな親子を目の当たりにすると、とても嫌な気持ちになる
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい(TT)
でも当時は完全なる陰キャだったので、本気で嫌でした…
治療期間が長くなればなるほど、心が荒んでいったように思います。
人は人、自分は自分だと考えていても、やはり現実を受け入れられないでいたのも事実でした。
…ん?
他にも色々あったはずなのですが、とりあえず忘れたのでこのくらいにします。
こんな感じで当時の自分を改めて振り返ってみると、思春期かっ!と問いたくなるほど繊細で敏感だったことが分かります。
それに今も完全に復活出来たわけではないですし、まだあの闇の延長線上を歩いているのは確かです。
でも今はあの頃よりもずっとラクに息が出来るし、まわりの光を疎ましく思うことも少なくなってきました。
職場について上に色々と書きましたが、こんな環境だったからこそ、私は強くなれたと思っています。
普通ならあまりすることはないであろう貴重な体験が出来たことは、自分にとって人生の財産にさえなったと思います。
私は産まれてこのかたずっと幸せだったと自負していますが、あの治療に費やした時間があってから、更に毎日幸せだなぁと思いながら生きていけてるのです。
浮かれすぎてた初の採卵日…の帰宅後
茫然自失
意気消沈
陰陰滅滅
あの時の自分を的確に表すには、いったいどんな言葉が適切なのでしょうか。
なんだかどれもしっくりこないですね。
全力で走り出そうとした目の前に突然底の見えない深い穴的なものが現れて、ヒラヒラと紙切れみたいに力なく落ちていくようなイメージです。
とまぁそんな状況に陥っていたわけですが、この時から無意識に『気を紛らわす方法』というのをいくつか身につけていったのでした。
防衛本能というやつですかね?
心が壊れてしまわないように現実逃避をしているだけなのですが、いい方向に考えれば、毎日を明るく生きる努力をしているともいえると思います。
ひとまずこの夜は、漫画を読みふけりました。
そのうちピアノを弾きまくるとか、アニメを観まくるとか、色々な方向へ興味が移っていくのですが(その話はまた後日)
とりあえずこの日は漫画でした。
なぜか偶然にもネットでレンタルした『ちはやふる』という漫画が家に15冊くらいあったのです。
すばらしい。とてもいいタイミングです。
ひたすら読みました。昼過ぎには家についていたのですが、夜までずっと繰り返し読んでいました。
『ちはやふる』の競技カルタの世界に入り込んでいる間だけは、少し心臓が痛くなくなって、息苦しさも楽になったような気がしていたと思います。
物語に浸るという考えは、我ながらとてもいい発想でした。
すでに実践済みの方ばかりかもしれませんが、この古典的な方法はとてもよかったです。
出来るだけ明るくなれる物語がベストですね。
高校生の頃を思い出して胸キュン出来る『ちはやふる』
海賊になって冒険したくなる『ONE PIECE』
おもしろい物語は世にたくさん溢れているものです。
オタク感が見え隠れしてきましたが、この時点ではまだオタクではありません…まだ、まだ…
こういった現実逃避術のお陰で、後々そこそこガチなオタクへと変貌を遂げるのですが、それはもう少し後の話になります。
まだ色々と始まったばかりで、そんな心の余裕はなかった頃ですから。